1938年東京に生まれる。
1959年土方巽の「禁色」で少年役を演ずる。60年代の暗黒舞踏派公演に参画。69年初リサイタル後に舞台活動を中断、85年「死海」で大野一雄と共演、カムバックした。86年以降大野一雄の全作品を演出。ソロ作品「花と鳥」(2013)はヨーロッパ(2014)、ブラジル(2015)中国 (2016,2017)を巡演。コラボレーション作品として、ヴッパタール舞踊団ダンサーとの共演「たしかな朝」(2010)、音楽家アントニーとの「Antony & Ohnos」(2010)など多数。
著書に『大野一雄 魂の糧』(フィルムアート社)、『舞踏という生き方』(かんた)。
大野慶人
特集
大野慶人
1938〜2020
2007年、ニューヨークにて(撮影:たきしまひろよし)
概要
1938〜1959年
1938
7月15日 東京、目黒に生まれる。父一雄出征。
1939
母、兄、祖母と共に函館に疎開。
1940
母、兄、祖父母と共に千葉県勝浦に疎開。
1945
戦況の悪化により秋田県大館市釈迦内村へ疎開。釈迦内小学校に入学。終戦後勝浦に戻る。
1946
一雄復員。横浜に転居。
1950
横浜市立二ツ谷小学校卒業。関東学院中学に入学。サッカー部に在籍。
1951
大野一雄の元でダンスの稽古を始める。
1956
関東学院高校卒業。文化学院文学部入学。
1959
4月、大野一雄モダーンダンス公演「老人と海」に少年役で出演(第一生命ホール)。
5月、全日本芸術舞踊協会第6回新人舞踊公演で、土方巽の「禁色」に少年役で出演。
9月、650EXPERIENCEの会「9月5日6時の会・6人のアヴァンギャルド」で「禁色(改訂版)」に出演。
1960〜1969年
1960
7月、土方巽DANCE EXPERIENCEの会に出演。映画「へそと原爆」(脚本・監督 細江英公)に出演。
10月、650EXPERIENCEの会「第2回6人のアバンギャルド」で「聖侯爵」に出演。
1961
3月、及川広信主宰、日本マイム・スタジオの初リサイタルに出演。及川廣信には、クラシックバレエ、パントマイムを師事していた。
新橋で土方巽・大野一雄とともにウィリアム・クラインによる写真撮影。
9月、土方巽DANCE EXPERIENCEの会に出演。
1962
ショーチーム「ダンシング・ゴーギー」に参加、土方巽らとナイトクラブで踊る。
10月、瀬田悦子と結婚。
1963
11月、土方巽DANCE EXPERIENCEの会「あんま―愛慾を支える劇場の話」に出演。
1965
11月、土方巽作・演出の暗黒舞踊派提携公演「バラ色ダンス - 渋澤さんの家の方へ」に出演。
1966
3月、アルトー館第一回公演で、大野一雄と「部屋」に出演(草月ホール)。
7月、土方巽作・演出、暗黒舞踏派解散公演「性愛恩懲学指南図絵 トマト」に出演。
1967
4月、アルトー館第二回公演「ゲスラー・テル群論」に土方巽、大野一雄と出演。
1969
11月、「大野慶人DANCE EXPERIENCEの会」独舞公演(新宿厚生年金小ホール)
その後、舞台活動を中止。横浜でドラッグストアの経営を始め、大佛次郎夫人の秘書を務めるようになる。
1970〜1989年
1975
3月、北林谷栄作・演出「お尋ね者ホッツェンプロッツ」(西武劇場)の基調訓練を行う。
1977
11月、大野一雄「ラ・アルヘンチーナ頌」初演 のため音響と制作を行う。
1980
8月、大野一雄のカナダツアーに参加。以後海外公演に同道する。
1983
2-3月、大野一雄のイタリア・イスラエルツアーに同道。死海を訪れる。
1985
2月、舞踏フェスティバル’85大野一雄舞踏公演「死海」への共演でカムバックを果たす(銀座マリオン朝日ホール)。
リミニ、ケルン、ジュネーブ、ニューヨークで公演。
1986
1月、土方巽逝去。
アデレード、サンパウロ、ブエノスアイレス他アメリカ、ヨーロッパ各地を大野一雄と共に巡演。
1987
6月、シュツットガルト世界演劇祭に参加、「睡蓮」を演出、大野一雄と共演。
1989
3月、ローマ日本文化会館にて、美術家長澤秀俊、音楽家藤原和通とのコラボレーション公演。
1990〜1999年
1990
5月、クレモナ市の依頼で新作「花烏風月」を滞在制作、演出および大野一雄と共演。
1993
4月、「御殿、空を飛ぶ」を演出、大野一雄他と共演(横浜赤レンガ倉庫3号上屋)。
1994
4月、大野一雄全作品上演計画第一回「睡蓮」を演出・共演(横浜テアトル・フォンテ)。
1995
3月、ハル・ハートリー監督の映画「Flirt」のダンスシーンを振付。
1996
6月、母チエ逝去(享年90歳)。
1998
8月、郡司正勝の遺稿を基に、ソロ作品「ドリアン・グレイの最後の肖像」を初演(シアターX)。
1999
9月、『大野一雄 魂の糧』(フィルムアート社)出版。
2000〜2009年
2000
6月、「宇宙の花」を演出、大野一雄と共演(横浜テアトルフォンテ)。
2001
10月、東京国際舞台芸術フェスティバルに参加、大野一雄の最後のソロ公演「花」を演出(新宿パークタワーホール)。
2003
9月、日本ブラジル舞踏フェスティバルで笠井叡と「め」公演(サンパウロ、リベイロン・プレト)。
野外公演「大野一雄・慶人養老天命反転地に舞う」。
2004
3月、東京国際芸術祭参加作品、大野慶人・笠井叡DANCE EXPERIENCE 「め―38年目の春夜」。
7月、大野一雄フェスティバル2004にて「大切な‘ひと’」(BankART1929/1929ホール)。
2005
12月、大野一雄フェスティバル2005にてソロ公演「一心」(横浜テアトルフォンテ)。
2006
4月、パリ日本文化会館にて韓国の舞踊家金梅子と共演、「春の花秋の月」。
映画「ヨコハマメリー」に出演。
2007
1月、「大野一雄百歳の年ガラ公演 百花繚乱」総合演出(神奈川県立青少年センターホール)。
3月、イタリアのボローニャで開催された「Cent'anni di Danza / Omaggio a Kazuo Ohno」にて「雪月花」。
10月、ニューヨーク、ジャパン・ソサエティ設立100周年記念事業、Kazuo Ohno 101にてソロ公演「空」。
2008
3月、サンパウロで開催されたTokyogaquiの大野一雄展にて「空」公演。
6月、モントリオールでルーシー・グレゴワールと「Flower」上演。
12月、インドネシア、ジョクジャカルタにて「空」公演。
2009
10月、大野一雄フェスティバル2009にて「禁色work in progress」に出演。
2010〜2020年
2010
2月、Antony and the Johnsonsと共演「ANTONY AND THE OHNOS―魂の糧」(草月ホール)。
6月、大野一雄逝去(享年103歳)。
12月、大野一雄フェスティバル2010にて、ヴッパタール・タンツテアター・ピナ・バウシュのダンサー、ジュリー・アン・スタンザックとエディ・マルティネスとのコラボレーション作品「たしかな朝」上演。
2011
5月、シンガポール・アーツ・フェスティバルにて「空」上演。
2012
8月、Antony’s Meltdown Festivalに招待され、「ANTONY AND THE OHNOS」再演(ロンドン、サウスバンクセンター)。
2013
3月、ブラジルツアー。「時の風」公演とワークショップ。
10月、大野一雄フェスティバル2013にてソロ公演「花と鳥 - 未来の私への手紙」初演。
2014
3月、ミュンヘン、ボローニャ、バルセロナ巡演、「花と鳥 - 未来の私への手紙」。
2015
4月、慶應義塾大学日吉キャンパス新入生歓迎行事 大野慶人舞踏公演「花と鳥 - 内部と外部」。
7月、サンパウロで「Antony and the Ohnos」再演、弓場農場(ブラジル)創立80周年記念で公演とワークショップ。
DVDと冊子「花と鳥 舞踏という生き方」(有限会社かんた)発刊。
11月、ポーランドツアーにて「花と鳥 舞踏という生き方」(ワルシャワ・クラクフ・ポズナン)。
2016
2月、ダンス・アーカイヴ・プロジェクト2016にてレクチャー・パフォーマンス「それはこのようなことだった」。
7月、札幌国際舞踏フェスティバル2017プレ企画として大野慶人舞踏札幌4DAYS「花と鳥 舞踏という生き方」上演。
北京、天津(中国)にて公演「花と鳥 舞踏という生き方」上演。
2017
3月、LAMINARIE(イタリア・ボローニャ)にて集中ワークショップ。
「緑のテーブル2017」を監修・出演(振付:岡登志子、神戸アートビレッジセンター)。
9月、中国ツアー(南京、上海、成都、北京)。「花と鳥 舞踏という生き方」上演とワークショップ。
四方田犬彦著『大野慶人の肖像』出版(有限会社かんた刊)。
12月、Dance Archive Project in Tokyo にて、大野慶人ソロ「花と鳥」抄上演およびアノーニとの共演「たしかな心と眼」(東京・寺田倉庫G1-5F)。
2018
4月、「緑のテーブル2017」(愛知県芸術劇場小ホール)に出演。
9月、「緑のテーブル2017」(ゲーテ・インスティトゥート/東京ドイツ文化センター)に出演。
2019
6月、「緑のテーブル2017」に出演(KIITOホール・神戸)。
舞踏アーカイヴプロジェクト「ALL ABOUT ZERO」に出演(シアターX・東京)。
7月、台北にてワークショップ。
2020
1月8日18時6分、永眠。享年81歳。