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Special Feature
特集|ヨネヤマママコ パントマイムの世界
13'09"
毎回ひとつのテーマに焦点を当てて取材する。
記念すべき第一回は、舞踏とも縁深いパントマイムに光をあてます。日本パントマイム界の草分けで、今も舞台活動を続けるヨネヤマママコのレクチャーパフォーマンスと、話題作「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」(1985 三越劇場)を紹介します。
出演:ヨネヤマママコ、清水寛二
ダンスを学んでいた少女ヨネヤマママコは、1952年に日本公開された映画『天井桟敷の人々』(監督:マルセル・カルネ、主演:ジャン=ルイ・バロー)で初めてマイムに出会う。その後、1955年のマルセル・マルソーの初来日公演に衝撃を受け、マイムの道を本格的に志すこととなる。「あなたは本当にマイムが好き?」と自分に問いかけ続けた末の決断だった。
1960年に、武者修行のために渡米。サンフランシスコのオリエンタルクラブで踊っていたところを見出され、当時のコメディアンの登竜門で、ウディ・アレンやバーブラ・ストライサンドらを輩出したことでも知られる有名ナイトクラブ「ハングリー・アイ(hungry i)」の舞台を踏む。1、2分で笑いを取るような演芸的なマイムで、多くの観客に愛された。他方でアメリカン・コンサバトリー・シアター(ACT)やカリフォルニア大学(UCLA)といった歴史ある学校でのマイム教師も務めながら、13年間を彼の地で過ごす。
ハングリー・アイでの成功から全米にその名を知られており、ジャン=ルイ・バローがわざわざACTまで訪ねてきて、マイム合戦を行なったこともあった。バローは馬と騎手を、ヨネヤマはタコをあげる子供を演じたという。またマルセル・マルソーとも、60年頃にアメリカで知り合って以来親交が深く、氏の生前はよくマイム談義を交わしていた。(YK)
ヨネヤマママコ(1935~)
父親よりバレエを、江口隆哉・大野一雄よりモダンダンスを学ぶ。とりわけ大野一雄自身から「あなたを教えさせてください」と申し出られたという逸話がある。また独学でマイムを研究し、独自の技法を開発した。19歳で発表した処女作「雪の夜に猫を捨てる」が高く評価され、NHK「私はパック」のパック役でTVデビュー。58年の作品「ハンチキキ」には、土方巽と大野一雄が出演している。1960年に渡米し、大学・劇団でマイムを教えながら基礎メソッドを研究。72年に帰国、ママコ・ザ・マイムスタジオを設立。後進を育てながら、舞台から映画、TV番組まで幅広く活動し、日本におけるパントマイムの大衆化に前人未踏の功績を打ち立てた。
「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」
70年代に制作されたヨネヤマの代表作で、タンゴシリーズのひとつ。通常は無言で行われるパントマイムに、ウィットに富んだ歌と語りをつけた独自の形式「パンカゴ」で、新宿駅を行き交う人々を痛烈に風刺する。他に「主婦のタンゴ」「更年期障害のタンゴ」があり、主婦の不満を表現した「主婦のタンゴ」では旧社会党委員長の故・土井たか子氏も舞台袖から紙皿を飛ばす演出に加わった。時代の最先端で女性の新しい生き方を模索したヨネヤマの姿勢が、作品にも反映されている。
番組用編集:飯名尚人
音楽:星野紗月
字幕制作:飯名尚人、呉宮百合香
字幕翻訳:本田舞
ヨネヤマママコ インタビュー
2015年
企画・ディレクション:溝端俊夫
撮影・編集:飯名尚人
© NPO Dance Archive Network, 2015
「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」
1985年 三越劇場(東京|日本)
映像提供:ヨネヤマママコ
「All About Zero」より〈ヨネヤマママコの部屋〉
2019年 劇場 東京・両国 シアターX(東京|日本)
http://www.dance-archive.net/allaboutzero/
出演:ヨネヤマママコ、清水寛二
アクセスコーディネーター:明神勇郎米
撮影・編集:宮部勝之
演出・構成・映像:飯名尚人
制作統括:溝端俊夫
リサーチャー:呉宮百合香
舞台監督:呂師
舞台監督補佐:吉田尚弘
音響:國府田典明
照明:溝端俊夫
主催:NPO法人ダンスアーカイヴ構想
提携:シアターX
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会
© NPO Dance Archive Network, 2019