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長野千秋Chiaki Nagano

長野千秋

ドキュメンタリー映像作家、後に大導術研究家。大野一雄を主演に「O氏三部作」とも称される<O氏の肖像><O氏の曼陀羅><O氏の死者の書>を監督した。
1964年、ネオ・ダダやオノ・ヨーコなど新しい芸術創造を目指す若者群像のドキュメント作品<ある若者たち>を発表。日本の内部から出てきたアヴァンギャルドを求めて大野一雄の稽古に通い、1969年~1976年にかけて「O氏三部作」を監督・撮影した。1979年<捨聖・一遍上人伝>の製作を最後に映像制作を離れて後は、老子の研究と実修に精力を注いだ。

基本情報

資料ID
PER7
生誕
1931年
死没
2015年 岡山県真庭市
国籍
日本

略歴

1956年 早稲田大学第一理工学部を卒業後、東京大学玉木研究室にて一年間、科学史を研究

1957年 日映科学映画製作所に入社

1960年 日映科学映画製作所を退社し、以後、フリーの脚本・監督として作品を製作

1962年 盲目少女への角膜移植のドキュメント<目が開いた>(日本TV・ノンフィクション劇場)、<アルミおじさん>(出演者・永井智雄・河内桃子)

1964年 <老人>(神奈川ニュース)、原爆患者の父を持った少女のドキュメント<偽名少女>(日本TV・ノンフィクション劇場)、オノ・ヨーコ等若いアーティスト達のドキュメント<ある若者たち>(日本TV・ノンフィクション劇場) 

1965年 <石油の詩>、野村万蔵一家のドキュメント<狂言三代>(TBS)、<催眠術>(12チャンネル)

1967年 <横須賀1967>、<フラメンコダンサー>(出演・小松原庸子、日本TV・ノンフィクション劇場)

1968年 チェコスロバキアが主催した「世界学生映画祭」に招待され、その後東欧・北欧・西欧・アフリカ等を一年間かけて遍歴

1969年 <O氏の肖像>(主演・大野一雄)

1972年 <O氏の曼荼羅>(主演・大野一雄)、<ブウゲンビリアの花の下に>(インドの奥地の病院で献身奉仕する日本人院長のドキュメント)

1973年 <天才指揮者・カラヤンの素顔>(構成)、<茶の話>

1975年 <盆栽海を渡る>

1976年 <盆栽の心> 

1977年 <O氏の死者の書>(主演・大野一雄)、<鉄のうた>

1979年 <捨聖・一遍上人伝>

この後映画製作を修了し、本格的に「老子」の研究と実修にはいる

1995年 中国河北省曲陽の西北の恒山、四川省の青城山に約半年間滞在、道教生活を体験

1997年 沖縄に移り住み、風水全相学、生命自然医学、大導術を学ぶ

2015年頃 岡山県真庭市にて死去

受賞歴

1961年 高速道路建設のドキュメント<首都高速道路>で建設大臣賞受賞

1965年 製油所の建設記録とモダンダンスを組み合わせたファンタジー<石油の詩>で日本映画技術賞受賞

1973年 <茶の話>で日本産業映画奨励賞受賞

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