ひと
- 人物
土方巽Tatsumi Hijikata
暗黒舞踏を創始。高校卒業後にモダンダンスを学び、21歳で上京した際、大野一雄の公演を見て衝撃を受ける。安藤三子に師事していた1956年頃に安藤の稽古場で大野一雄に直接会う。1959年4月には「大野一雄モダン・ダンス公演 」で<老人と海>の舞台監督を務めた。同公演でデビューした大野慶人を起用し、翌5月に男色を主題とする作品<禁色>を発表した。<禁色>は舞踏の最初の作品と言われる。同年9月には<禁色改訂版>を発表。この改訂版に大野一雄を招いてジャン・ジュネの小説「花のノートルダム」に登場する男娼ディヴィーヌを踊ることを依頼した。大野一雄の作品では、<ラ・アルヘンチーナ頌 >(1977)、<わたしのお母さん>(1981)、<死海>(1985)を演出。<死海>では舞台復帰を果たした大野慶人に3つの小品を振付けた。
略歴
1946年頃 秋田にて江口隆哉門下の増村克子にモダン・ダンスを師事
1949年 47年の初上京後、2度目の上京。大野一雄の第1回舞踊公演を観覧
1953年 安藤三子舞踊研究所に入門
1958年 バレエ・パントマイム<ハンチキキ>(構成・演出:今井重幸、振付:ヨネヤマ・ママコ)で大野一雄、ヨネヤマ・ママコと共演
1959年 4月、「大野一雄モダン・ダンス公演 老人と海」で<老人と海>の舞台監督を務める
5月、全日本芸術舞踊協会・第6回新人舞踊公演で<禁色>を発表。共演は大野慶人
9月、650EXPERIENCEの会で<禁色改訂版>を発表、大野慶人の他、大野一雄も出演
1962年 アスベスト館で「レダの会発足第一回公演」を開催、<レダ三態>を作・演出。主演は元藤燁子
大野慶人や元藤燁子等と「ダンシング・ゴーギー」を結成、ショーダンスを行なう
1963年 土方巽DANCE EXPERIENCEの会「あんま-愛慾を支える劇場の話-」を作・演出・振付・出演
1965年 ガルメラ商会謹製・暗黒舞踊派提携記念公演<バラ色ダンスーA LA MAISON DE M. CIVEÇAWA(澁澤さんの家の方へ)>を演出・振付・出演。大野一雄とデュオを踊る
1966年 暗黒舞踏派解散公演<性愛恩懲学指南図絵ートマト>を演出・振付・出演
1967年 ガルメラ商会謹製・高井富子舞踏公演<形而情學>を演出・出演、大野一雄も出演
1968年 9月、高井富子舞踏公演<まんだら屋敷>を演出・振付・出演、大野一雄も出演
10月、土方巽舞踏公演<土方巽と日本人ー肉体の叛乱>を演出・振付・出演
1972年 燔犠大踏鑑第二次暗黒舞踏派結束記念公演「四季のための二十七晩」を開催、<疱瘡譚>等を上演
1974年 芦川羊子を中心とした白桃房の連続公演をアスベスト館で行う
1977年 大野一雄舞踏公演<ラ・アルヘンチーナ頌>を演出
1981年 大野一雄舞踏公演<わたしのお母さん>を演出
1985年 2月、舞踏フェスティバル'85[舞踏懺悔録集成ー七人の季節と城]を構成、「衰弱体の採集」と題した講演を行う。大野慶人がカムバックし大野一雄と共演した<死海ーウィンナーワルツと幽霊>を演出、大野慶人を振付ける
12月、スタジオ200舞踏講座<東北歌舞伎計画四>を作・演出・振付、遺作となる
受賞歴
1973年1月 土方巽と暗黒舞踏派が第四回舞踊批評家協会賞(1972年度)を受賞
1977年1月 土方巽と暗黒舞踏派が第八回舞踊批評協会賞(1976年度)を受賞
外部リンク
慶應義塾大学アート・センター 土方巽アーカイヴ
http://www.art-c.keio.ac.jp/archives/list-of-archives/hijikata-tatsumi/