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小原明子Akiko Ohara

小原明子

ブラジルのユバ・バレエ団を率いた振付家・演出家・舞踊家。旧姓、図師明子。踊りが大好きで、15歳の時に安藤三子舞踊研究所に入門。安藤三子・堀内完ユニーク・バレエ・グループで注目を浴び、モダンダンサー時代の土方巽とも舞台やテレビで共演した。1961年、前衛芸術運動ネオダダのメンバーだった彫刻家・小原久雄と結婚、ボーイスベン号で渡伯。サンパウロ州アリアンサ村にある「祈ること、耕すこと、芸術すること」を掲げた弓場農場に入植。農場の子どもたちにモダン・バレエの指導を始め、ユバ・バレエ団を結成、演出・振付を手掛けた。ユバ・バレエ団は弓場農場の生活の一部として、時を経て親子4代が同じ舞台に立つほどとなった。弓場農場の、「やったことないからできない」とは誰ひとり言わない開拓者精神とアートそのものの生活に魅了され、生涯をかけてユバ・バレエ団を率いた。

基本情報

資料ID
PER169
生誕
1935年6月7日 東京
死没
2024年9月30日

略歴

1949年 安藤三子舞踊研究所に入門

1957年 8月、安藤三子・堀内完ユニーク・バレエ・グループ第3回公演(第一生命ホール)にて、ソロ<ババラ>を踊り、注目される。また、小品集の一曲<チノとテテ>を土方九日生(後の土方巽)と共作・共演する

1960年 劇団四季「血は立ったまま眠っている」(作・寺山修司)のマンボを踊る場面を振り付ける

1961年 ユニークバレエ団の舞台美術も手掛けていた彫刻家・小原久雄と結婚後、夫と共にサンパウロ州アリアンサ村の弓場農場に入植。弓場農場での初めての作品「あざみの歌」を振付る

1963年 「輝かしき開拓者」初演

1965年 ユバ・バレエに感動したサンパウロ州内務長官の力添えにより州政府より援助金を得、ユバ・バレエ団初の弓場農場外での公演が実現

1978年 4月、ブラジル日本移70周年記念第一回ユバ・バレエ団日本公演で日本各地13カ所を巡演、「よろこびの歌」を発表

1986年 パラグアイ日本移民50周年に招聘されてユバ・バレエ団が州立劇場(アスンシオン)で公演

1991年 ユバ・バレエ団第二回日本公演。日本青年団協議会40周年、日本青年館70周年記念の招聘公演だった

1992年 ブラジルで開催された地球環境サミットにおいて、日本NGOを支援する国際イベントにユバ・バレエ団が出演

1997年 天皇皇后両陛下来伯歓迎式典(イビラプエラ室内体育館)にてユバ・バレエ団公演

2001年 1989年に他界した夫・久雄の彫刻を集めた「遺作彫刻野外展示場」が弓場農場内に完成

2008年 TOKYOGAQUI(東京画)“ANDAR OHNO 101 + KUSUNO”展示会場(サンパウロ)にて大野慶人の舞踏<空(KUU)>に特別出演

2009年 大野一雄フェスティバル2009に参加。禁色初演50周年記念企画<禁色work in progress>で大野慶人と共演

2011年 ユバ・バレエ団創立50周年を祝って、1年をかけて数々の記念イベントが開かれる

2015年 弓場農場創設80周年を記念して弓場農場で開催された大野慶人舞踏公演<花と鳥ー内部と外部>で共演

2021年 弓場農場創立85周年・テアトロユバ60周年記念を記念して「多文化との共存」をテーマにクリスマス公演が行われた (2020年実施予定がコロナのため延期)

2024年 7月〜9月、第一アリアンサ入植100周年記念の振り付けを監修

2024年 89歳で死去

受賞歴

1998年 ミランドポリス市議会から名誉市民賞を授与される

2000年 日本政府より外務大臣賞を受賞

2008年 ブラジル文化省が実施する文化功労賞を受賞

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