土方巽 (1928 – 1986)
1928年秋田県に生まれる。第二次世界大戦後に上京し、欧米のさまざまなダンスを習得しつつ、それに飽き足らず新たなダンスの実践に向かう。1959年、のちに舞踏最初の作品とされる「禁色」を発表。60年代には、暴力とエロティシズムを扱う実験的公演や先駆的“ハプニング”を次々に展開。同時代の文化人と活発に交流しながら日本の前衛芸術運動を先導し、舞踏の思想と表現の基礎を築く。1970年代からは、東北の風土をベースにした作品群を創作するとともに、舞踏譜を用いた新たな方法論の開発に打ち込んだ。
中西夏之 (1935 - 2016)
1935年東京に生まれる。東京芸術大学絵画科(油画専攻)を卒業。1962年山手線ホームや車内でのハプニングで一躍注目を集める。1963年第15回読売アンデパンダン展に《洗濯バサミは攪拌行動を主張する》を出品、同年、高松次郎、赤瀬川原平とハイレッドセンターを結成し、銀座の画廊や街頭で先鋭的なパフォーマンスイベントを行った。60年代に土方巽と交流し、『バラ色ダンス〜澁澤さんの家の方へ』(1965)等で舞台美術・装置を制作した。80年代には油彩画のシリーズ「紫、むらさき」を発表し、「絵画」表現を追求する作品を精力的に制作した。
アーカイヴ 森下 隆 土方巽/中西夏之メモリアル猿橋倉庫
協力 NPO法人舞踏創造資源
聞き手 溝端俊夫
撮影・編集 飯名尚人